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2008.03.31

球春 2008

 ♪も~す~ぐ、は~るですねぇ~♪なんてキャンディーズが歌ってました。ミキちゃんが好きでした。春になると思い出します。そう、春爛漫です。サクラ満開だあ。何だかオジサンだってウキウキしちゃいます。そーいえば、ミキちゃんがリード取った曲がありましたねえ、何ていう曲だったか?なんて悩んだり。春です。球春です。セ・リーグも開幕だあ。
 我らがカープ、開幕戦いきなり連敗です。今年も相変わらずタイムリー欠乏症です。ブラウンの采配ミスもあったし。でも相手が去年の覇者ドラゴンズだし、前評判もサンザンだし、しょーがねーか。2連敗で3連敗のジャイアンツやベイスターズよりましか。なんてミョーな慰めしたり。いえいえまだ始まったばかり、これからよ。明日からの地元タイガース戦から巻き返し。仕切りなおしでごわんす。どすこい。それには元カープの3番と4番を徹底的に押さえ込まねば。ヒット1本たりとも許すまじ。何てったって今シーズンは広島市民球場最後の年。来季からは待ちに待った新球場。市民球場で有終の美を飾らずにどうすんべ。
 市民球場には思い出がいっぱいあるんです。デートにも使ったし。2軍の試合もよく見てました。学生でヒマこいてたし。ヨシヒコがまだ外野手でしかもヘタクソだった頃です。酔っ払ったオジさんが、タイガースの3塁コーチのヒゲ辻を「このヨッパライ!昨日流川(広島の飲み屋街)で見たぞ」なんて野次り。子供たちも外野フェンスに顔をつけて、ヤクルトの大杉外野手を「おーすぎっ、食べすぎ、太りすぎっ!」なんて野次ってました。まだまだ昭和でした。秋口にはお別れに市民球場に行こうと思います。カープよ、それまでは希望を持たせてよ。頼みますよ。

目指せ!クライマックス・シリーズ! カープ・べー子のスノードームを作ってみました。
Carp_dome
素直に「目指せ!優勝」って書けないのがさみしい。

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2008.03.24

薩摩 坊ノ浦 双剣石

 前回の記事「坊津町」の③と④の写真の双剣石は歌川(安藤)広重も描いていると書いた。あの東海道五十三次で有名な広重である。地元では周知な話なのだが、ちょっと心配になり調べてみた。調べると確かに広重が描いている。六十余州名所図会の中の一つ「薩摩 坊ノ浦 双剣石」である。六十余州名所図会とは広重が北は出羽の月山から南は薩摩の双剣石までの全国の名所69枚を描いたもの。そうなると俄然、六十余州名所図会が欲しくなる。アマゾンで検索するとありました。ドヒャー、お値段315,000円! トーゼン買えません。さらに調べると12,600円というのもありました。まだ勇気がいります。さらに検索。ありました。2,520円。人文社刊「広重の諸国六十余州旅景色」というご本。六十余州の69枚の絵全てを網羅し、さらに各絵の解説付き。早速、新宿紀伊国屋書店で購入。いいですねえ。旅ごころをくすぐります。コチョコチョ。ちなみに広重は現地に行って描いたのではなく、淵上旭江という人が23年をかけて全国を回って描いた「山水奇観」などを参考に描いたらしい。まあ当時(1856年頃)の交通事情を考えると当たり前田のナントヤラですね。

「広重の諸国六十余州旅景色」の[薩摩 坊ノ浦 双剣石]より
Soukenseki

 実際の双剣石は広重の絵のようにはスマートではありません。当時の風景画らしく相当デフォルメされています。また広重の絵のように双剣石のてっぺんに松の木があって風情があったのですが、かなり前に松食い虫の被害にあって現在はありません。なんとかならなかったのですかねえ。ところでネットで検索しているうちに、印象派の巨匠クロード・モネが六十余州名所図会の「薩摩 坊ノ浦 双剣石」を所持していたという記事を見つけた。馬淵明子・日本女子大学教授の「モネのジャポニスム ― 自然と装飾(1887~1926)」という講演である。その中にモネの絵と広重の「薩摩 坊ノ浦 双剣石」を比較している部分がある。(講演内容はこちら) 先日NHKでモネの特集をやっていて見たばかり。それによるとモネは日本に憬れていて自分の庭に日本庭園を作ったり、食堂に多くの浮世絵を飾っていたとのこと。その1枚が「薩摩 坊ノ浦 双剣石」だったかもしれないと考えると嬉しくなります。坊津も鑑真和尚にジェームズ・ボンド、さらにモネが加わりモア・インターナショナルです。

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2008.03.17

坊津町

 先日のNHK大河ドラマ「篤姫」の最後で私の故郷の鹿児島県坊津町(現南さつま市)が紹介された。でも篤姫とあまり関係ない内容だったような。ご多分にもれず過疎の町ですが、その昔は博多津(福岡市)、安濃津(津市)とともに日本三津(さんしん)と呼ばれ、遣唐使の発着港だったとか。また天平の甍の鑑真和尚が苦難の末に日本にたどり着いた場所としても有名?で、秋目浦には鑑真和尚上陸の地の碑もあります。なおその碑の隣は007(ダブルオー・セブン)撮影地のモニュメントです。鑑真和尚とボンド、ジェームズ・ボンドですよ。_bou000なんと時空を超えてかつインターナショナルなんでしょう。ちなみに撮影されたのは「007は二度死ぬ」です。宿敵スペクターの秘密基地に潜入すべく地元の海女に扮した日本側のエージェントである浜三枝とボンドが偽装結婚する。ボンドはどう見ても地元の漁師には見えない。胸毛モジャモジャだし。また撮影隊が画面にチラッと映る背景の家が気に食わないと解体し、撮影終了後に以前より立派な家を建てて帰ったとの話もあります。真偽はともかくさもありなんと思わせるボンド、ジェームズ・ボンドであります。

GoogleEarthで薩摩半島。左下のリアス式海岸の部分が坊津です。九州の西南端です。実家の裏山に登ると中国大陸が見えると言うと、ウッソーと言われますが。ウソです。見えるわけがありません。でも遠いんです。羽田から鹿児島空港までが2時間弱。鹿児島空港から実家までバスあるいは鉄道を乗り継ぐと倍近い時間がかかります。飛行機に乗っているより県内を移動する方が時間がかかるんですから。
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①坊浦。
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②上の①の写真を反対から。
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③郷土資料館の輝津館(きしんかん)前から望む双剣石。
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④六十余州名所図会で広重も描いた双剣石の夕焼け。
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⑤泊浦の沖合い。ここからは東シナ海に沈む夕日がきれいです。
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⑥耳取峠からの朝焼けの開聞岳(薩摩富士)。
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2008.03.10

ペーパー・チェイス

 日曜日のNHK・BSは「談志まるごと10時間」 NHK力が入ってます。何だか家元の遺言のようでもあった。ドキュメンタリーの他にも「芝浜」「粗忽長屋」「居残り佐平次」と大ネタをたっぷり。談志ファンには堪えられない。家元は出来不出来というか乗っている時とそうでない時がはっきりしているのだが、あの歳になっても落語と格闘しているさまがすざまじい。

 さてさて、ずっと見たいと思っていた映画「ペーパーチェイス(1973年)」をNHK・BSで見た。前回見たのは30ン年前の高校か大学の時。ひょっとしたらその間だったかもしれない。アメリカの大学生(ロースクール?)というものは随分と大変だと思ったもんだ。ラストシーンで主人公が成績通知の入った封筒を紙飛行機にして飛ばす印象的なシーンがある。このシーン主人公が飛ばしたのは試験の答案用紙だと思っていた。以前凛々さんに教えてもらっていたのだが、飛ばしたのはやっぱり成績通知でした。
 この映画をもう一度見たいと思っていたのは主演の二人が好きだったから。ティモシー・ボトムズとリンゼイ・ワグナー。ティモシーくんについては以前の記事で書いた。今回はリンゼイ・ワグナー。Lindsay Wagnerとっても好きでしたたしかいいとこのお嬢さまでモデルとしても人気があった。多分。映画の中で、気まずくなった二人が廊下ですれ違い、通り過ぎてからちらっと振り向くシーンは記憶に残っている。髪を無造作に後ろで束ねた時の彼女はもー最高でした。ピーター・フォンダと共演した「ふたり(1972年)」も良かった。でも一番印象に残っているのは日曜の夜に日テレ系で放送していた「バイオニック・ジェミー」。タイトルの頭に「史上最強の美女」ってついていた。これって後番組の「チャーリーズ・エンジェル」にもついてたんだけど。でもそれは別の話。スカイダイビングで瀕死の重傷を負ったジェミーが両足・右手・右耳のバイオニック移植手術を受けて「史上最強の美女」となって毎週悪を倒すというもの。普通の人には聞こえない隣室のささやき声などをバイオニックな右耳で聞く時の、ちょっと遠くを見るような仕草がはっきり言って好きでした。そんな表情が大好きだったジェーン・フォンダにもちょっと似ていたし。でも「バイオニック・ジェミー」以後は彼女を見ることはなかった。好きな女優さんだっただけに残念。そういえばティモシーくんもあれだけ人気があったのに以後はパッとしなかった。なんでだろう?才能だけではハリウッドは生き残れない?
 成績通知を飛ばしたティモシーくんはこの後ドロップアウトして、リンゼイ・ワグナーとの愛の生活に入ったのか。それとも友人をも蹴落とす過酷な競争の中に......

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2008.03.03

小朝独演会

 先月25日に春風亭小朝の独演会へ行った。場所は五反田のゆうぽうと。でかいホールである。最近は大銀座落語祭などプロデューサーとしての手腕を発揮し、昨今の落語ブームの大立役者である。その割には2階席に空席が目立つ。また落語ブームという割には若者が少ない。登山と同じでブームを支えているのは中高年の皆様?小朝を最後に聴いたのは5,6年前か?「死神」だった。照明や効果音に凝り、当時流行っていた?「明日があるさ」が流れるなど演出たっぷりの噺だった。後で知ったのだが作家の京極夏彦がアレンジしたものだった。ちなみに小朝の師匠は柳朝。林家彦六の一番弟子で談志、志ん朝、円楽と共に四天王と呼ばれた人。他の3人は何度も聴いたことがあるが、残念ながら柳朝は聴いたことがない。というのも落語を聴き始めた1982年に脳梗塞で倒れて、高座に復帰しないまま亡くなっている。相当癖のある人だったようで、前座の頃とはいえあの談志をいじめたらしい。でも吉川潮さんの「江戸前の男-春風亭柳朝一代記」なぞ読むと一度聴いてみたかったと思う。でもそれは別の話。
 予定どおり18:30開演。一番手は小朝の3番弟子の春風亭ぽっぽ。女性の噺家である。出し物は「たらちね」。大家と八っさんの演じわけが今ひとつ。精進しなはれって感じ。でもすっとした立ち振る舞いは好感が持てました。次は、待ってました!小朝師匠。Koasa2あれ?お囃子の代わりに音楽が。どこかで聴いたような?するとマイクを持った小朝が、越路吹雪の「ラストダンスは私に」唄いながら登場。越路吹雪の生涯を夫で「誰もいない海」の作曲でしられる内藤法美とマネジャーだった岩谷時子を絡ませて、面白可笑しく、時にはしんみりと描く「越路吹雪物語」を一席。面白いけどちょっと説教くさい面も。
 中入り後は去年、真打名を父親から生前贈与?された林家木久蔵。マクラの親子同時襲名のギャグも聞き飽きたし、最初「権助提灯」か「悋気の独楽」かと思った「権助魚」(初めて聴いた)の出来ももひとつ。こちらも精進しなはれー。最後は再びの袴姿の小朝。マクラに時事ネタの毒入りギョーザと歌舞伎をそこまで言うかと思うくらいの毒舌でバッサリ。そして「七段目」へ。芝居の声色とかピッタリ決まりすぎ。うまい! サゲが「七段目で落ちたな?」と主に問われ、定吉「いえ、てっぺんから」となっていて知っているものと違う。あとで知らべたらこれは人間国宝・米朝のサゲらしい。オミソレ。
 ゆくゆくは名人と呼ばれるであろう小朝だが、談志の畳み掛けるような構成力(滅多にないけど)や志ん朝の端正さにまだ及ばないと思うのは気のせいか。

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