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2006.08.29

怪談噺 -怪談 乳房榎-

 まだまだ少し蒸し暑いようで、怪談噺をひとつ。
 前回の記事の上赤塚富士があるのは赤塚4丁目の氷川神社。以前にも書いたが大宮が本社の氷川神社は全国にあり、関東では特に荒川流域に多い。何故か?いつか調べたいと思うが、それはまた別の話。Keyaki1近所の氷川神社である。この神社参道が長く、ケヤキや桜の大木が多い。春には桜並木になるとのことで今から楽しみ。でもそれもまた別の話。この参道の入口の近くに樹齢1750年余という榎の大木があり、傍らに「乳房榎(ちぶさえのき)大明神」の碑が立っている。ん?乳房榎?何だか聞いたことがあるぞ。最近は脳細胞の死滅のスピードが早くて物忘れがひどいのである。オッパイにも縁ないし。ん?オッパイ?思い出した。数年前に地図サークルで目白・早稲田界隈を歩いた時に神田川近くの南蔵院というお寺で、「名作怪談乳房榎ゆかりの地」という案内を見た。確か写真も撮ったはず。
 怪談榎乳房は明治の大名人・三遊亭圓朝(以前記事に書いている)が作った噺である。圓朝作の怪談噺にはこの他に「怪談牡丹灯篭」「真景(しんけい)累ケ淵(かさねがふち)」がある。この噺も長い噺で前半と後半に分かれて演じらることが多い。あらすじは、

 江戸の絵師・菱川重信は美人の妻おきせ、赤ん坊の真与太郎と幸せに暮らしていた。Keyaki3重信に高田の南蔵院から天井画の依頼があり、下男の正介と泊りがけで出かける。
 その留守中、おきせに横恋慕していた弟子の磯貝浪江は、従わなければ真与太郎を殺すと脅して無理やり関係を持つ。2度、3度と重なるうちにおきせも浪江に好意を抱くようになり、浪江は重信殺害を決意する。
 南蔵院へ出かけた浪江は、正介を脅して仲間に引き入れる。そして渋る重信をホタル見物に誘い出して、その帰り道で殺害する。南蔵院に戻った正介は重信の亡霊が絵を完成させて落款を入れるのを見て仰天する。
 やがて浪江と再婚したおきせは浪江の子を身ごもる。そうなると真与太郎が邪魔になった浪江は、再び正介を脅して真与太郎殺害を命じる。やむなく正介は真与太郎を滝つぼに落として殺す。すると真与太郎を抱いた重信の亡霊が現れ「今までの罪は許すから真与太郎を育てろ」と命じる。改心した正介はツテを頼って赤塚村の松月院前に真与太郎を連れて隠れ住む。その松月院には乳房の形をした榎の大木があり、その滴は乳代わりになるので乳の出ない母親たちの信心を集めていた。それを聞いた正介はその滴を乳代わりに真与太郎を育てた。
 浪江の子を出産したおきせであったが、乳が出ずにその子死なせてしまう。しかも乳房に腫れ物ができるようになり、また重信の亡霊も現れて狂い死にしてしまう。その葬儀で正介と真与太郎が生きていることを知った浪江は2人を殺害するため松月院に出向く。しかし5才になった真与太郎と正介は重信の亡霊に助けられて浪江を討ち、仇うちを果たす。

 ほら、寒気がしてきたでしょう。えっ、オマエの文章の方がオサムイって。でもね、名人で聞く怪談噺ってほんとコワイんですよ。もう20年以上前に、先代の馬生師匠(志ん朝師匠の実兄で池波志乃さんの父親)で聞いた「真景 累ケ淵」の前半部分「豊志賀の死」の真に迫っていたこと。広い紀伊国屋ホールで背筋がゾクゾクとした。そう言えば最近落語聞きに行っていないなあ。

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2006.08.22

歩いて行ける富士山

 うっかりしていて気づかなかったが、いつの間にかアクセス数が2万件を超えていた。2004年11月から始めて記事の数も116件になった。これからもよろしくお願いします。

 永年住み慣れたJR蕨駅の近くから、東武東上線成増駅の近郊に引越しした。引越し荷物の整理は連れ合いに任せ、まずやるべきことは板橋区の富士塚の検索である。このブログで何回か書いているが富士塚とは、江戸・明治の頃に富士山大好きの富士講の信者達が造った人工のミニ富士山である。東京を中心に関東近郊に300以上あると言われている。立派なものは高さが10mを超えるものもあり、山腹に本物と同様に風穴を持つものもある。以前住んでいた埼玉県川口市の木曽呂富士は国の有形民族文化財に指定されていた。さて板橋区の富士塚である。ネットで検索すると4つある。しかも1つは引越し先のすぐ近所。何はともあれ、行かねばなるまい。荷物の整理に忙しい連れ合いを「疲れたねー」とだまして?一緒にお散歩である。歩くこと5分。赤塚4丁目の氷川神社の長い参道の横にありました。♪その~名も網走番外地~♪じゃなくて上赤塚富士。1876年築造。高さ約3m。都内の富士塚は富士山から運んだ溶岩を固めたものが多いのであるが、ここも何個かの溶岩が配置してある。浅間神社の鳥居をくぐり、登山道を登る。1分もかからず山頂に到達。いつものように山頂でバンザイ。犬を連れた夕方の散歩のおばさんが気味悪そうに急ぎ足で通り過ぎて行った。

上赤塚富士。これで散歩がてらいつでも富士登山ができる?
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 引越しの当日はもの凄い夕立があった。落雷でJR山手線や京浜東北線も一時ストップしたらしい。家が壊れんじゃないかと小心もののこちらが心配する程の大きな音を立ててエアコン用の穴を開けていた工事のおじさんが、開けたばかりの穴を覗きこんで「おっ、きれいな夕焼けですよ」と言う。ピンときた!この家には物干し台がある。物干し台に駆け上がり、真っ赤に染まった西の空を見る。おおーっ。富士山が見える!この8月の時期に、しかも引越しの日に。奇跡である。神のお導き?信じるものは救われる。カメラ、カメラ。階段をコケた。これから展望のよくなる冬が待ち遠しい。きっと富士見日記をつけるんだろうなあ。

我家からの富士山。隣の家が邪魔?
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なお、3D地図ナビゲーター・カシミール3Dによると我家からのダイヤモンド富士は12月6日16時13分と翌年1月6日16時27分頃である。今から楽しみ。
*ダイヤモンド富士とは富士山の山頂に日の出・日の入りの太陽がかかること。

 富士山続きでもうひとつ。引越し後、駆け足で鹿児島に帰ってきた。当然、行きも帰りも窓際を予約。しかも帰りは夕焼けに染まる富士山を狙って、夕方の便を予約した。ところが一人の客が遅刻して出発がかなり遅れてしまった。やきもきしていたのであるが、案の定富士山が見え始めた時はかなり暗くなっていた。バカヤロー!時間厳守。夏の日もツルベ落としなのだ。

相模湾上空からの富士山。機内の明かりが写ってしまったがこれがベストショット。
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2006.08.15

8月15日

 今日は終戦記念日。敗戦記念日という人もいる。

 小泉首相は公約どおり?靖国に参拝した。仰るとおり参拝する・しないは「個人の自由」である。小泉さんは参拝の理由を珍しく明確に説明していた。でもそのひとつひとつの理由に違和感を覚えるのは何故だろう。

 私の故郷の近くの知覧町には特攻隊の基地があった。その知覧や万世などの基地から1000人を超える若者が南の空へ出撃し、帰ってこなかった。彼らは片道の燃料と重たい爆弾を抱えて飛び立った。最後に見た風景は開聞岳だったのだろうか。61年前の夏、ひょっとしたらこんな光景があったかもしれない。悲しむ人を二度とつくらない。

Inori


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2006.08.08

立秋

今日は立秋。
「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
               風の音にぞ 驚かれぬる」
ご挨拶も「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」へ。
でも残暑というよりこれからが夏本番!みなさまご自愛のほど。

Sakurajima

 高校時代は鹿児島市内で下宿していた。3畳1間の狭い部屋だった。松本零士センセーの「男おいどん」極貧・大山昇太の4畳半より1畳半狭い。しかも散らかし放題。でもサルマタケは不思議と生えなかった。高校の裏門の近くだったので友人たちの溜り場だった。あり余る時間を持て余し、バカ話に興じていた。もちろんテレビなど無く、小さなラジオと卓上レコードプレーヤーが唯一の娯楽品。それで週末はテレビが見たくて坊津町(現南さつま市)の実家に帰っていた。
 土曜の授業が終わると西鹿児島駅前(現鹿児島中央駅)から枕崎行きの鹿児島交通バスに乗る。ノロノロと市内を南下したバスは谷山の街を過ぎると、山間部へ向かって右折する。九十九折りの山道を徐々に高度を上げて行き、左手の車窓に錦江湾が見え隠れするようになる。やがて川辺峠の直前で鹿児島市の向うに噴煙を上げる桜島が見える。高校時代いくども見た青春の風景である。
「わが胸の 熱き思いに 比ぶれば
              煙は薄し 桜島山」
幕末の薩摩藩士の歌だが、熱き思いどころかオイラの頭のてっぺんにはいつも秋風ぞ吹く。

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2006.08.01

ラスト・ショー

 長い梅雨がやっと終わり、さあ夏本番かと思いきや意外と涼しい日が続いております。体力激減かつ汗っかきのデブにはうれしい限りであります。

 映画「ラスト・ショー」(The Last Picture Show 1971年)を観た。1950年代始めのテキサスの片田舎アイリーンが舞台で、誰からも慕われるカーボーイ上がりの映画館主と少年達の交流と成長を描いた作品。いつも風が吹いている町と白黒の映像がマッチして切ない映画である。
 監督は「ぺーパー・ムーン(1973)」「おかしなおかしな大追跡(1972)」のピーター・ボグダノビッチ。出演は「ジョニーは戦場へ行った(1971)」「ペーパー・チェイス(1973)」のティモシー・ボトムズ。ちょっとライアン・オニール似で少し頼りなげな感じがして当時好きだった俳優さんである。そしてジョン・フォード映画の脇役だったベン・ジョンソン。当初監督の出演依頼に「セリフが多すぎる」と断ったそうである。いかにも無骨な感じのベン・ジョンソンらしいエピソードである。しかし諦めきれないボグダノビッチは「絶対にオスカーを獲らせるから」と迫ったらしい。実際この映画でアカデミー助演男優賞を獲得している。他に「恋のゆくえ ファビラス・ベーカー・ボーイズ(1989)」「スターマン(1984)」のジェフ・ブリッジス。後に「アリスの恋(1974)」でアカデミー主演女優賞を獲るエレン・バースティンなど。
 後半に明かされるベン・ジョンソンとヒロインのだらしない?母親役のエレン・バースティンの古い恋のいきさつ。「彼だけよ生きる何かを与えてくれたのは。でなかったら今頃、私はただのヒステリー女になっているわ」のセリフが悲しい。ところで劇中で上映される映画はエリザベス・テイラーの「花嫁の父(195」)と閉館のためまさにラストショーとなるジョン・ウェインの「赤い河(1948)」。

「思い出の場所」でティモシー・ボトムスに人生を語るベン・ジョンソン。渋すぎる!
Lastshow
「今でもあの女がここへ来ればおれはノボせる」
「バカと思うだろう」
「でもないのさ」
「あんな女にノボせるのが一番利口なんだ」
「一番バカなのは何にもしないで老いぼれる事さ」

 映画の中でベン・ジョンソンはいつもタバコを巻いている。高校生の頃、日東紅茶をコンサイスの紙で巻けばおいしいタバコになるという噂があり試してみた。チョーまずかった。

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