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2005.03.06

芭蕉の旅立ち

芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのは、元禄2年(1689年)の3月27日(新暦では5月16日)のことだったらしい。
見送りの人たちと深川から船に乗って隅田川を上ってきた。そして千住で船を降り、ここで矢立の初に次の句を詠んだ。

「行く春や 鳥啼く魚の 目は泪」である。

この句を詠んだ後、芭蕉は曾良と二人で「奥の細道」目指して日光街道を北へ歩いていったのである。

さて何ヶ月か前の新聞で、芭蕉が奥の細道の第一歩をbasyo踏み出したのは、北千住側か南千住側かで地元で論争?になっていると読んだ記憶がある。まあ第三者にとってはどっちでもいいようなことではあるが、地元の方にとっては譲れないことなのだろう。先日サークルの月例会で千住大橋界隈を歩いた時も、隅田川を挟んだ北千住側(写真下、千住大橋北詰)と南千住側(写真上、素盞雄神社)の両方で矢立の初の句碑を見ました

生来ナマケモンの私が考えるのは「そりゃとーぜん、北千住でしょう!」なのだが、そこは風流人の芭蕉さん。「どれ、川風にあたりながら千住大橋でも渡ってみましょうかな」なんて考えるかもしれない。当時東京(江戸)には高い建物なぞなかったはずで、大橋の上からは富士山や男体山や筑波山が見えていただろうから。う~ん、考え出すと夜も眠れん。アナタは北千住派?それとも南千住派?

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Comments

拙者、北千住に賛成です。芭蕉のころには、利根川の流れを変えて、隅田川が現在の流れに近いところになってそれほど時が経過していないと思われます。仰せのとおり、隅田川を渡る橋は完成しているようですが、「前途三千里の思い胸にふたがりて」というのは橋を渡る前より、ついにここまで来てしまったというときにふさわしく思えます。でも、これも裏をかかれるかも。仕事場のある草加は、「奥の細道」では芭蕉が宿泊したことになっていますが、実際には泊まっていません。(実際は、春日部まで行ってから宿泊している。)

Posted by: 下安 | 2005.03.12 at 11:22 PM

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